武豊の史跡を歩く② 武豊町
前回は長尾城址から月詠之森・武雄神社、醸造蔵を巡り、鉄道の町だった武豊を感じながら、
名所を訪れた。
今回は浦島太郎伝説。
各地で浦島太郎伝説は多く存在するが、武豊もその一つ。
浦島太郎伝説をめぐる
浦島太郎伝説。
ここ武豊にも言い伝えがある。
太郎は武豊の東大高の人で拭きの浜で海亀を助けた。
恩返しに来たか目の背中に乗って竜宮に行く。
富貴の海岸。この中程に四海波という所があり、そこが竜宮の入口といわれている。
竜宮の入口は布土の近くの四海波海岸の沖だったという。
数年後に乙姫から玉手箱を貰って故郷に帰ってきた太郎。
そして、・・・お伽話は展開するのだ。
そのお伽話の世界を巡ることに。
半田方面から国道247号線で武豊の市街地を抜けると海岸側に火力発電所などが見える。
この辺りが東大高地区。
地名も「浦島太郎」「竜宮」。「浦島川」に「浦島橋」。
「竜宮保育園」もあって、とても分かりやすい。この一帯に史跡がかたまってある。
知里付神社・浦島神社・竜宮神社
浦島川にかかる浦島橋。
太郎はこの浦島川に沿って、亀に連れられて竜宮城に行ったとさ。
太郎が亀の背に負われたことから、この地が「負亀(ふき)」となり、
やがて、「富貴(ふき)」に転じたという説も生まれたのだ。
東大高の交差点を東に。
知里付神社へ。
太郎が竜宮城から持ち帰った「あけずの箱」(玉手箱)が祀られている神社。(非公開)
この玉手箱は、「太郎がさみしさのあまりに開けたら白髪の老人になった」という、
一般の伝説とは別に、「この地方が干ばつばかりで困窮した時、玉手箱を開けると恵の大雨が降り、村を助けた」
という言い伝えもあります。
それを感謝した村人が「浦島神社」を建て、太郎を慕ったとのことです。
白浜青松だった武豊・富貴の浜
今はすっかり工業地帯になった武豊町の海岸だが、
昔は浦島太郎を連想するほどきれいな砂浜だった。
天保15(1844)年の村絵図に「浦ノ島」「浦之島屋敷」があるし、名鉄河和線が開通したのは昭和初年だが、
その時に「浦島駅」「四海波海岸駅」があった。
少なくともその時代から浦島伝説が根付いていたようだ。
世にも名高いお伽話の舞台が地元であることはどれも結構なこと。
次は成岩です。
KEIKOHanto公式ライター
生まれも育ちも知多半島。せこみち、露地、島、初物に感度良好。好奇心を糧に街歩きに日々勤しむ。
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