坂部城址を歩く 阿久比町
阿久比町の坂部城址。
ここは阿久比城ともよばれ、阿久比地方の領主、久松氏の城だった。
以外にも知られていないが、阿久比・久松氏の先祖は菅原道真なのだ。
阿久比は菅原道真ゆかりの郷
阿久比という町にはすごい歴史がある。
菅原道真が九州の大宰府に左遷された時、道真の子や孫も各地に流された。
その一人が孫の菅原雅規だ。
雅規はここ阿久比に移された。
しかし彼は立派な領主だったようで、善政を敷き、村人から慕われた。
雅規の幼名が久松麿(ひさまつろ)、英比殿(えいびどの)だったので、
彼は久松を名乗り、この地を英比としたと伝わっている。
坂部城
その雅規のお城がここ坂部城だ。
築城の時期は不明のようだが、坂部城は代々、久松氏の城だった。
この城に残る最高のドラマは永禄3年(1560)6月。
桶狭間の戦いの数日前、徳川家康が母の於大と18年ぶりの対面を果たしたことだろう。
於大は松平広忠に嫁いで、のちに家康となる竹千代を産んで間もなく離縁された。
そして竹千代とは18年も会えなかった。
その後、於大は坂部城主・久松俊勝と再婚して3人の子を産んでいた。
その坂部城に家康(当時・松平元康)がお忍びでやって来たのだ。
於大にとれば2歳で別れさせられた愛しのわが子が青年になって目前に現れた。
家康にとっても夢にまで見た実の母。
まさに涙の対面だっただろう。
それに不思議は、家康は今川義元方の武将。
対する久松は織田信長方の武将。
普通なら戦闘する相手同士なのに久松の坂部城で会っている。
不思議な話だが、これは長くなるので別の機会に・・・
ともかく歴史ドラマには欠かせないお城だ。
それに立地的にも、坂部城の裏は険しい丘陵部。
城のすぐ前まで海。
城砦には理想的な場所だ。
阿久比川は海だった
写真左手に見える高台は阿久比町役場、坂部城跡などが続く丘陵部。
右手の高台は半田北部の大矢知地区。昔はこの広大な谷間が入江だった。
魚泳いでいた証拠に、
西の宮池あたりでマグロの骨が発見されているから、ここにもマグロがいたわけだ。
阿久比町の中心部に「宮津」という地名があるが、「津」は海とか港を指す言葉だから、
宮津辺りまで船の行き来する海とみていいのではないか。
余談ですが、阿久比町役場の交差点にかかる大きな橋「オアシス大橋」。
この橋桁に音符がデザインしてある。
この曲はベートーベンの交響曲第9。「歓喜の歌」だ。
阿久比には菅原道真、家康、於大と歴史ドラマがある。
この地区を訪れる際はそんな背景に思いをはせながら散歩してみては。
KEIKOHanto公式ライター
生まれも育ちも知多半島。せこみち、露地、島、初物に感度良好。好奇心を糧に街歩きに日々勤しむ。
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