蔵・運河 半田市を歩く


半田市。
JR半田駅前は元々は牧場で、知多半島が酪農で盛んだったがその発祥の地が半田市駅前だった。
今でこそ牧場の名残など感じられないが、半田繁栄の象徴として残っている運河や蔵など、歴史を紐解いていくと面白い。

蔵・運河 半田市を歩く

武豊線が開通し、半田駅ができたのが明示19年。
半田駅前の土地は、ミツカン4代目の中埜又左ヱ門さん所有の牧場だった。

牛乳は瓶詰めして「ミツカン牛乳」として販売された人気だったという。

これはのちの「みどり牛乳」。

半田駅前が手狭になったこともあり明治32年、牧場は柊町に移転した。

そしてますます酪農が盛んになり、やがて知多半島が酪農農家一戸当たりの飼育頭数日本一に発展した。

知多郡酪農発祥の地
記念碑:知多郡酪農発祥の地

半田繁栄の象徴

半田駅から徒歩5分。
「運河の町、蔵の町・半田」の観光スポット、
「ミツカンミュージアム」や「酒の文化館」のある中村町界隈。

運河沿いに並ぶ豪商の街。

萬三家
豪商・萬三商店の旧店舗兼住宅

源平橋の手前を左折、半田運河に沿ったこの一帯は半田市繁栄を支えた実業家すなわち、

「豪商」の大邸宅が居並ぶ通り。

中埜半六邸や小栗萬三邸は昔の面影を残しています。

運河と蔵
蔵と運河

江戸期に誕生した豪商たちの多くは廻船で大きな商売をしていたので、
彼らの邸宅や蔵は運河に隣接している。

昔の千石船など大きな船は港まで入れない。
港の沖に停泊する。

そこへ小舟が行って荷下ろしをする。
荷は商人の蔵から出し入れする。

だから小舟が蔵のある場所に直接着けられると効率的なわけだ。
蔵のある庭に裏門があり、そこが運河。
今も昔のまま残る半六邸の裏庭と蔵を見るとそれがよく分かる。

このようにして半田は運河と蔵で栄えたのだ。

千石船と船頭重吉

千石船といえば船頭重吉も半田の人。

千石船・督乗丸は文化10年(1813年)に遭難、実に484日も太平洋を漂流した。

これはギネス世界記録に申請しているほどの長期漂流。
乗組員14人のうち、重吉ら3人だけが生還し、重吉は残りの人生を仲間の供養のために活動した。

その顕彰碑がミツカンの裏手に。

船頭重吉の顕彰碑
船頭重吉の顕彰碑

動力織機発祥の地

知多信用金庫半田支店の駐車場に「豊田佐吉翁発明 動力織機発祥の地」の碑が建っています。

明治30年ごろ、まだ無名の豊田佐吉が乙川村の実業家・石川藤八の支援を受け、
まさにこの半田で動力織機を発明、稼働させた。

それよりも10年も待たずにこの織機は日本の主流となる。

佐吉は発明王とさえ言われるようになり、「豊田」はさらに発展。

世界の「トヨタ」へ。

それを記念して平成24年5月、はんだ郷土史研究会が母体となり、知多信用金庫の支援もあり、
その駐車場に記念碑を建立した。

次は亀崎です。

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